2020年10月15日、内閣官房デジタル市場競争本部事務局が「Trusted Web推進協議会」の討議内容を公開しました。COVD-19が加速したデジタルトランスフォーメーション(DX)の急拡大にむけて、有識者を交えて「ニューノーマル」に向けた方向性とその課題を詳かにし、議論を重ねています。当記事では当事務局と慶應義塾大学SFC研究所の参考資料を踏まえて、トラステッドウェブが達成された新たな文明時代におけるデザインの役割を考えてみます。

デジタルを信頼すること

本推進協議会で議論されているなかで、問題意識として掲出されているのは、

サイバーとリアルが融合するSociety5.0におけるデジタル市場のあり方について、ビジネス動向、市場環境、テクノロジーの動向等多角的な視点から、将来のリスクを見通しつつ、多様なイノベーションによりデジタル化がもたらすメリットを最大化できるよう、ダイナミックな競争が行われる市場をどう構築していくかとの観点から、提言

 そして今後目指すべき方向性としては、

デジタル市場の目指すべき姿: “一握りの巨大企業への依存” でも、“監視社会” でもない 第三の道へ1) 多様な主体による競争
2) 信頼(Trust)の基盤となる「データ・ガバナンス」
3) 「Trust」をベースとしたデジタル市場の実現

とあります。この協議会では新たなデジタル市場を、信頼(トラスト)を切り口に具体的な手法論へと昇華させ、第三の道の提言へと繋げていくようです。官民での推進体制を立ち上げた上で、当面は21年4月に開催されるGlobal Technology Governnce Summit(GTGS)での発信をスケジュール目標としています。

 勘の良い方ならいくつかの情報が紐づくかと思いますが、この話はいわゆるGAMFAのような欧州や米国をはじめ各国で「デジタルプラットフォーマーとして情報を独占している」との烙印を押されまくっている企業からの脱却を模索しているものです。実際にこの「デジタル市場競争会議(令和1年10月4日)」の第1回配布資料には独占禁止法に関する資料が多数掲示されています。そして、この話は世界がCOVID-19の混乱に陥る数ヶ月前のお話でもあります。

 実際に社会は「コロナ禍」と呼ばれるほど大きな混乱が生じ、誰もが「何も準備できていないまま」に半ば強制的にデジタルに触れて生活をする必要がでてきました。当協議会も仮説として、背景と課題認識のなかで、デジタル技術の活用の急拡大はCOVID-19を契機に加速とし、「社会全体がDX化するニューノーマルへ」シフトするものの、課題が顕在化したとしています。
課題のレベル分けでは、

1, 人と人とのコミュニケーションのレベル
→ 現状のテクノロジーでは、使い手である人間の活動とは完全に一体化できていない。(コミュニケーション、感情、信頼、多様な文化など)
2, 経済社会活動のレベル
→ データがどのように活用されるか分からない。 (個人の判断すらコントロール、囲い込みの懸念(勝者総取り)、サプライチェーン間のデータ活用も進まず)
→ データそのものが信頼できるか。(フェイクニュース、IoT・自動運転・ヘルスケアでの懸念)
3, 国家間のレベル
→ デジタル化への移行に当たり、国家間で考え方、価値観に相違が発生。分断のおそれ。

総じて、システム全体を通じてトラストの枠組みが構築できていない。と仮説立てています。

ここでいうトラストとは、以下の定義と目指すべきを持ち合わせているようです。

・事実の確認をしない状態で、相手先が期待した通りに振舞うと信じる度合
・全てを確認するコストを引き下げ、システム全体のリスクを関係者で分担することに意義。
・利用者はTrust維持コストと問題発生時のリスクのバランスでTrustできるかを判断。

トラストの概念や詳細な構築にむけたスキームは資料から確認できますが、第1回の協議会の内容でもあるため、現時点では仮説の論証に文献やデータの共有からネクストステップを議論しているところのようです。

人間活動のリスペクト

 このようなトラストを切り口とした議論がされている中で、注目したいのは慶應義塾大学SFC研究所ブロックチェーンラボが提唱している以下のニューノーマルと新たなインターネット文明の調和と表したロードマップです。


特に注目したいのは、「人間とその活動へのリスペクト」のフェーズ。

「感情のデジタル表現等により、人間やその活動の「トラスト」が形成される」る一方で「身体や物理的な生活空間の希少性と価値の向上(Priceless化)」とも記述されており、まとめて「人間の行動がデジタルの価値観と協調しながら変容するニューノーマル社会の出現」としています。

 日常生活におけるアナログとデジタルの配分がデジタルに傾倒する社会で、純然たるアナログの実体験は希少性と重要性を持って尊重される時代になるようです。
確かに上述のようなトラストが達成された社会においては、例えば今でも煩わしい本人確認の認証画面やプロセスが廃止されることでUXの向上は図れるでしょうし、アナログなことに対し時間とコストを費やすことで希少性が上がると思えます。UXが大幅に変化することになるので、いままで儀式的に実行していた事象やプロセスは潰え、新たなUXを獲得するかもしれません。

 このような未来の社会を予見することはできますが、同時にデジタルがアナログへ「侵食する」塩梅をうまく調節する必要があるように思えます。特に実体を伴うプロダクトデザインのような領域は、技術のコモディティ化やデジタルファーストを突き進めると、無機質でシンプルというよりプレーンすぎてしまう無情緒の「ディストピアなデザイン」になってしまう恐れがあります。
 当然そんなことをさせないために私たちデザイナーが存在するわけですが、その行動背景は「人間とその活動へのリスペクト」と同様です。
 製品がユーザーにとって、社会にとってどのような良い影響や循環をもたらすのか、これこそが美的外形を追求する裏で、「コンセプト」の名の下にプロダクトデザイナーが「エモーショナルバリュー/感性価値」として大切にしてきた領域です。
 

不変のデザイン

 人間がビットではなくアトム(Atom)として実在性も持ちづける限り、このリスペクトを体現するためにデザインという行動は不滅ですし、Priceless化が加速するでしょう。


 昨今自動運転のデザインが数多く提案されていますが、それらを否定するつもりはありません。むしろそれが自動運転としてのあり方として成立しているデザインであれば、それはカーデザインとしてパーフェクトなデザインと言えます。あくまでも希少なサービスや体験を提供し、それにフォーカスするプロダクトのデザインは不変でしょう。

 愛する人に会いに行く体験、緑の中を真紅のポルシェで走り抜けていく体験、それはトラストのように行動がデジタルに事実として置き換わる価値になったとしても、決してかけがえのない希少な価値を持つものになります。

 奇しくもCOVID-19が加速させたDX、そしてトラストの概念がもたらすニューノーマル社会においても、デザインの必要性と重要性は普遍であることを改めて認識しました。しかし、自身を取り巻く環境が経験したことがないほどに大幅に変化しても、私たちデザイナーはその変化や潮流を正確に捉えなければなりません。

 来年4月の「日本のニューノーマル」の発信を、楽しみに待ちたいと思います。