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 2020年8月25日、英国の高級自動車メーカー、ロールスロイスはそれまでの”ブランドアイデンティティー”を一新すると発表しました。
 ロールスロイスといえば自動車に詳しくない人でも一度は聞いたことであるだろう超高級車メーカー。そのロールスロイスが、いわば車に取り付けるエンブレムやロゴを変えたことが自動車・デザイン界隈で話題となりました。
なぜそこまで話題になるのか、プレスリリースからは世界に名を馳せる自動車メーカーの挑戦と決意が垣間見えました。

https://www.rolls-roycemotorcars.com
  • “RR”は洗練されシンプルに。ROLLS-ROYCEは頭文字が強調
  • スピリット・オブ・エクスタシーはデジタルを見据えて2次元へ
  • イメージカラーは荘厳な「パープル・スピリット」
  • デザインファーム”Pentagram” のマリーナ・ウィラー氏を起用

“RR”は洗練されシンプルに。ROLLS-ROYCEは頭文字が強調

 自動車向けのエンブレムはこれまで通りのシルバーバッジ(左)を用いるものの、このタイプのバッジは自動車のみに使われるブランドアイデンティティーになるとのこと。企業としてのロールスロイスのブランドを表す際の”ブランドコミュニケーションデザイン”には、シルバーバッジ中央のRRのみを象った(右)、非常にシンプルなデザインを用います。

 また、同じくブランドコミュニケーションに用いられるデザインの文字表記版には、ROLLS-ROYCEの頭文字のRが少し大きくなりました。一方、MOTOR CARSは控えめに。

スピリット・オブ・エクスタシーはデジタルを見据えて2次元へ

 

https://assets.newatlas.com

 フロントエンブレムに鎮座する彫像「スピリット・オブ・エクスタシー」。ロールスロイスと聞いて名前は知らなくとも、これを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。「フライングレディ」の名前でも有名かと思います。
 1910年に自動車雑誌”The Car”の編集長、ジョン・ダグラス・スコット・モンタギューが自分のロールスロイスにふさわしいマスコットを付けたいと思い立ち、彫刻家のチャールズ・ロビンソン・サイクスに製作を依頼したことが始まりだそうです。

 彫刻から白抜きの美しいシルエットに変化したフライングレディ。1912年にロールスロイスが正式に採用してから100余年。ついに”彼女”は2次元の世界にも翼を広げてきました。

 このブランドアイデンティティは「デジタル&ライフスタイル」分野への訴求として用いられるそうです。

イメージカラーは荘厳な「パープル・スピリット」

 そしてもう一つ、ロールスロイスブランドとしてのイメージカラーを「パープル・スピリット」としました。
Phantom(幻)やGhost(幽霊)、Wraith(スコットランド語;幽霊)のような車名の付け方からもわかるように、ロールスロイスはそれ自身に「幽玄」とも思える世界観を持っています。
「パープル」カラーは、妖艶でありつつも知的で荘厳なイメージを抱くことができ、最適かつ唯一の選択肢であるように思えます。

Pentagramのマリーナ・ウィラー氏を起用

 今回のブランドアイデンティティー刷新には、英国の有力デザインファームである”Pentagram”のマリーナ・ウィラー氏を起用しています。なぜロールスロイスは彼女に依頼したのか、そこにロールスロイスの”決意”が如実に現れていると筆者は思います。
(残念ながら日本のメディアでは「ロールスロイスのロゴが変わった!」という記事は散見されるものの、ロールスロイスのプレス発表の考察や、ウィラー氏について、またそのバックグラウンドであるPentagramについて詳しく触れられているものは見つけられませんでした。)

 マリーナ・ウィラー氏は英国のグラフィックデザイナー兼映画監督であり、ロンドンの超名門芸術大学院Royal Collage of Artを修了後、ブランディングコンサルティング企業のWolff Olinsを経てデザインファームPentagramのパートナーとして活躍しています。
 そのウィラー氏は元来、デザインによる変革やその有用性を広くアピールしており、英国内外問わず幅広い分野からの支持を得ています。
 便利な時代になったもので、Youtubeにも彼女が講演するDesign for Changeの様子がアップされているので是非ご覧になってください。

 今回のブランドアイデンティティーの刷新と彼女の関わり方について、ロールスロイスのプレスにはこのように記されています。

Marina Willer, commented, “What soon became apparent is that Rolls-Royce has evolved from being regarded as an automotive manufacturer into a leading light in the world of luxury. It was essential for us to ensure that the brand’s new identity reflected this shift. We needed to present Rolls-Royce in a forward-facing, fresh and relevant way – speaking to new audiences while respecting the company’s loyal clients.”
<抄訳>すぐに明らかになったのは、ロールス・ロイスが自動車メーカーとみなされていたものから、ラグジュアリーの世界をリードする存在へと進化したということです。この変化をブランドの新しいアイデンティティに反映させることが不可欠でした。私たちは、ロールス・ロイスの忠実な顧客を尊重しながらも、新しいオーディエンスに向けて、前を向いて新鮮で関連性のある方法でロールス・ロイスを紹介する必要がありました。

I do not come from an automotive background. This vantage point provided me with the opportunity to observe Rolls-Royce as a manufacturer of luxury products. My ambition was to celebrate the luxuriousness of the brand while providing it with the means to visually communicate with Rolls-Royce’s younger, increasingly diversified audiences.”.
<抄訳>私は自動車業界の出身ではありません。この視点は、高級製品のメーカーとしてのロールス・ロイスを観察する機会を与えてくれました。私の野望は、ブランドの豪華さを称えながら、多様化するロールス・ロイスの若年層のオーディエンスと視覚的にコミュニケーションする手段を提供することでした

 少し補足すると、このコメントの前段にロールスロイスの顧客の平均年齢が43歳となり劇的に若返りを果たしたとの記述があります。彼女のいう「明らかになったこと」「オーディエンス」とはこの若返った顧客に対して向けられている言葉です。
 何より彼女の冒頭の一言、「私は自動車業界の出身ではありません」。この言葉がなぜロールスロイスが彼女に依頼したのか、その答えはまさにこれだと筆者は考えます。
同じく彼女のコメントにある「自動車メーカーから、ラグジュアリーの世界をリードする存在へと進化」もまた、ロールスロイスがもはや「自動車」の殻から抜け出そうとしているのが理解できると思います。

 自動車というバックグラウンドの縛りがないからこそ、ロールスロイスとは人々にとって「何者」であるか冷静に判断できる彼女は、ロールスロイス自らの「自動車の呪縛」から解き放つことのできる人材であった故に、その責務を任されたと推察します。

 今回のブランドアイデンティティ刷新には、それぞれのアイデンティティに利用シーンの割り振りをしています。自動車メーカーが利用シーンに応じたブランドアイデンティティーのカテゴライズをすることはまだ多くはなく、また今回のようにライフスタイル用途まで指定しているメーカーは珍しいのではないでしょうか。

 一方でこのカテゴライズこそが、もはや「自動車ではない存在」にとってブランド戦略上重要な意味を持ち始めます。言わずもがな、自動車業界に押し寄せるデジタルの波は凄まじく、顧客コミュニケーションや訴求活動はもはや画面越しであることがほとんどです。

  • 自動車製品そのものには立体的かつ伝統的なアイデンティティ(上図左上)
  • コーポレートとして、ブランドとしての掲示にはRRとROLLS-ROYCE(上図右上&左下)
  • 日々目にするよりライトな訴求にはスピリット・オブ・エクスタシー(上図右下)

 ブランドアイデンティティーの役割を明確に設定し、自動車以外の多種多様なメディア(媒体)に最適な形に変化させることで、あらゆる場面で「ラグジュアリーな存在」としてのロールスロイスを認知させることができるようになるのです。

試される、Ghost

 今回のブランドアイデンティティーの刷新はロールスロイスにとって大きなチャレンジと決意の現れであるのはご理解いただけたと思います。
 筆者のカーデザインの経験から、自動車のデザインやブランディングは企業内で「閉じている」ことが非常に多く、このような世界的メーカーがメーカー自身のブランディングを外部企業や人材に依頼することは稀です。しかしウィラー氏のように自動車業界未経験だからこそ風穴を開けられるデザイン・ブランディング手法・観点は確かに存在しています。
 閉塞感漂う自動車業界の良き前例となること、ひいては今後時間をかけて浸透し、自動車を超えた目論見通りの「ラグジュアリーな存在」として進化していくことに期待しています。

 さらに、ロールスロイスは新型Ghostからもう一つ新たなチャレンジを実践しています。
その一つがコンセプト”Post Opulence”です。
日本語では脱・贅沢と訳されるようですが、その真意はどのようなものであるのか。
次回、解説記事を掲載いたしますので是非お楽しみに!

参照 Rolls-Royce