2021年3月17日、弊社初となる著書「FUTURE DESIGN 未来を、問う。」が発売となりました。本書の中で、「思索する」という意味を持つスペキュラティブデザイン(Speculative Design)の「問う」手法に注目し、未来をより現実に引きつける方法論を説いています。
ここではキワ・アート・アンド・デザインが重視している「問う」とは何かを、少しお話します。

スペキュラティブデザインとは何か

 スペキュラティブデザインを少し理解していただくと、我々のデザインの本質である「問う」をより理解いただけると思います。
 そもそも、「スペキュラティブ(Speculative)」という英単語自体、聴き馴染みのない方がほとんどではないでしょうか。
 「思索的」という意味を持ち、それにデザインが重なった、スペキュラティブデザインは、はイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートでかつて教鞭を取っていたアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーの両名が提唱したデザインの概念のことです。

 詳細にスペキュラティブデザインについて知りたい方は、この二人の著書である「スペキュラティヴ・デザイン / 問題解決から、問題提起へ。−未来を思索するためにデザインができること(BNN新社)」をお読みいただくのが一番かと思います。
 この著書のなかで、「スペキュラティヴ・デザインは、想像力を駆使して、厄介な問題[wicked problem]に対する新しい見方を切り開く。従来とは違うあり方について話し合ったり討論したりする場を生み出し、人々が自由自在に想像を巡らせられるように刺激する。スペキュラティヴ・デザインは、人間と現実との関係性を全体的に定義し直すための仲介役となるのだ。」としています。つまり、スペキュラティブデザインとは、「未来はこうもあるのではないか」とこれまでとは違った新たな視点から、物事の未来を見つめるデザインの立場のことを指します。
 また、スペキュラティブデザインはデザイン思考やクリティカル デザインと比較されることも多いです。どの思考法が正しい、ということはなくシーンや目的によって使い分けることができることが理想です。各思考法に関しては、別の機会に解説いたします。

人間がイルカを産むということ

 字面ではなかなか理解しにくいので、著名なスペキュラティブデザインの一例を紹介します。
 長年筆者が敬愛する、長谷川愛氏の作品はスペキュラティブデザインの事例としてよく引き合いに出されます。
 なによりもその作品自体がセンセーショナルで、ショッキングで、それでいて観察者に注意深く考察を求めるもにになっています。
氏の作品である、「I WANNA DELIVER A DOLPHIN…」はその名の通り「私はイルカを産みたい」ということを真摯に考える作品です。

https://aihasegawa.info/i-wanna-deliver-a-dolphin

人間は遺伝子を次世代に渡す方法として子供たちを育てるように遺伝的に仕向けられていますが、人口過剰と緊張した地球環境のために最適な状況で子供を育てることはより難しくなっています。このプロジェクトは、潜在的食物不足とほぼ70億人の人口の中、これ以上人間を増やすのではなく、絶滅の危機にある種(例えばサメ、マグロ、イルカ等)を代理出産することを提案しています。子供を産みたいという欲求と美味しいものが食べたいという欲求を満たす為に、食べ物として動物を出産してみてはどうか?という議論を提示し、そして如何に可能にするかという方法も示します。(紹介ページ抜粋)

 みなさんはこの作品をどう見るでしょうか。一見するとファンタジーのように思われてしまうかもしれません。
 人間がイルカを産む。
 西洋の、特にアブラハムの宗教においては人間以外との交わりはタブーであり、比較的あらゆるタブーに対して寛容になった現代でも嫌悪を抱く方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、立ち止まって観察するとこの作品の本質が見えてきます。この作品が訴えるのは、絶滅危惧動物の保護や家畜としての動物を取り扱う、人間と人間以外の生物の新たな関係性の一案に他なりません。
 少し俯瞰して、この作品を改めて眺めると、そもそも生物としての「人間」が「人間以外の生物」を出産することは可能であるのか、というバイオサイエンスとしての方法を明示しています。
 つまり、人間と人間以外の生物の関係性を「思索的に」将来に渡る選択肢として、人間が人間以外の生物を「出産する」という具体案を明示しているだけなのです。
 スペキュラティブデザイン=未来はこうもあるのではないか、という観点がなければ検討されることはなかったであろう、表現であるといえます。デザインフィクションや、バイオアートなどと表されることも最近ではありますが、その潮流を作ったとも言えるかもしれません。

「問う」大切さ

 前述のように、長谷川氏はデザインを通じて、「人間が人間以外を出産する」という提案を行いました。このように、タブーや敬遠を恐れず、冷静に社会に対して提案を行うこと「問い」と呼んでいます。これはなにも特別な呼称でもなく、単に私たち人間社会に対して提案を問い(う)ているに過ぎないからです。
 社会に「問い」かけること。それ自体はいつの時代も様々な手法で絶え間なく行われてきていることであり珍しいことでもありません。
 人々の想像、妄想、夢想、どんな形であれ各人の脳内に湧き上がる未来の姿を、現実社会に「問う」ことで未来の選択肢が増え、いつしか夢想した未来が現実になるかもしれません。
1920年発行の「日本及日本人(にほんおよびにほんじん)」という雑誌には、100年後の未来、つまり2020年の東京・日本橋は高層ビルに溢れかえる街並みになると予想されていました。実際、戦後の経済成長を経て日本橋のみならず東京全体がビルで溢れかえり、世界最大の都市として繁栄しています。他にも様々な「100年後」が予想されているので、こちらからお読みください。

 この雑誌の影響がどこまであったかを知る由もありませんが、1920年にぼんやりと高層ビルの立ち並ぶ東京を夢想し、それを社会に問いていたことは、その後100年の東京のあり方を定めた一材料になったかもしれません。
 100年前は雑誌に簡単に挿絵として掲載するだけでしたが、今日の「問い」の選択肢は数多く存在します。
 絵や動画、文章など問うためのスタイルは様々ですが、キワでは問いを実践する際には極力問う内容をリアルに近づけることを目標としています。3DやVR/ARを駆使して、社会に問うそのものを現実世界に落とし込むことで人々に現実感を持って検証をして欲しいためです。
 先行きが不透明な時代だからこそ、問いを実践し続けることで未来を思うように作り上げることが可能です。特に近年のモビリティ環境や都市設計において、空飛ぶ自動車や地中を超高速で移動する乗り物など、かつての夢想が盛り込まれるようになってきています。ここから十数年、いや数年レベルでの大きな変革が起きるだろうと信じています。

 「問い」によって、未来をどのように形成するのか、その手法論や考え方を上梓した著書では詳しく取り上げていますので、ぜひお手にとっていただけるとありがたいです。いくつか講演会やセミナーのお話も(大変ありがたいことに)いただいているので、決定次第お知らせいたします。